(写真 東寺「御影堂(みえどう)」(大師堂:北側))解説:中世以降、東寺の信仰の柱となった御影堂(弘法大師信仰)。弘法大師様が住まわれていた。
今回は、京都を代表する世界遺産の一つ「東寺」を訪ねた(3回目、御影堂、大日堂、昆沙門堂)。
東寺(教王護国寺)は、平安京への遷都から間もない延暦15年(796年)頃から平安京の入り口にあたる羅城門の東側に西寺と対象に造営された官寺である。嵯峨天皇の時(823年)東寺は空海に下賜(かし:与える)されたとされる。
金堂、講堂を中心として南大門、中門、五重塔、僧坊、食堂などの建物が立ち並び、国家の寺として隆盛を誇っていた。東寺は、平成6年(1994年)「古都京都の文化財」としてユネスコ世界遺産の登録された。平安京の誕生とほぼ同時に歩み出したこの寺は、幾多の波瀾を超えて現在にその姿を伝えている。(出典:史跡西寺跡案内板抜粋、Wikipedia、国宝東寺(編集発行東寺))
(↓ 下の写真 東寺「大日堂」南側より撮影)大日堂:大日如来を本尊とした江戸時代、御影堂の礼拝所
(↓下の写真 東寺「昆沙門堂」北側より撮影)
昆沙門堂 :天慶2年(939年)都の守護神として羅城門に安置されていた兜跋昆沙門天立像(現国宝)を羅城門倒壊の後東寺に移し、食堂に安置していたが、文政5年(1822年)現在の堂を建立してお祀りした。平成6年(1994年)修復
東寺は、796年官寺として建造されたが、造営は順調にははかどらなかった。823年弘法大師空海が東寺を下賜された時には、境内に立っていたのは金堂だけであった。翌年、造東寺別当に任じられた弘法大師は、ただちに講堂の建設に取り掛かった。ここから弘法大師の寺としての東寺の歴史がはじまる。 (関連記事 東寺1、東寺2、東寺4)
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