京都の歴史と歩む 弘法大師の寺「東寺」(教王護国寺)を訪ねて 2

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(写真 東寺「金堂」南大門から入った正面(南側))解説:これが東寺の本堂、金堂である。大仏様式の東寺最大の建物で、金堂には、薬師如来坐像及び両脇侍像(桃山時代)等が祀られている。金堂は、室町時代に焼失し、慶長八年(1603)に豊臣秀吉によって再建された。)

せっかく関西圏に単身赴任をしているのだから観光をしない手はない。今回は、京都を代表する世界遺産の一つ「東寺」を訪ねた(前回の続き)。

東寺(教王護国寺)は、平安京への遷都から間もない延暦15年(796)頃から平安京の入り口にあたる羅城門の東側に西寺と対象に造営された官寺である。嵯峨天皇の時(823年)東寺は空海に下賜(かし:与える)されたとされる。

金堂、講堂を中心として南大門、中門、五重塔、僧坊、食堂などの建物が立ち並び、国家の寺として隆盛を誇っていた。東寺は、平成6年(1994)「古都京都の文化財」としてユネスコ世界遺産の登録された。平安京の誕生とほぼ同時に歩み出したこの寺は、幾多の波瀾を超えて現在にその姿を伝えている。(出典:史跡西寺跡案内板抜粋、Wikipedia、国宝東寺(編集発行東寺))

(↓ 下の写真 東寺「講堂」北西側より撮影、後ろに見えているのは金堂(どちらも拝観有料))

講堂:弘法大師の企画した真言密教の本道場 中には、大日如来を中心にかの有名な立体曼荼羅が配置されている。

(↓下の写真 東寺「食堂」南東側より撮影、南大門から北に向い金堂、講堂、食堂とひときわ大きな建物が直線上に配置されている。)

東寺は、796年官寺として建造されたが、造営は順調にははかどらなかった。823年弘法大師空海が東寺を下賜された時には、境内に立っていたのは金堂だけであった。翌年、造東寺別当に任じられた弘法大師は、ただちに講堂の建設に取り掛かった。ここから弘法大師の寺としての東寺の歴史がはじまる。 (関連記事 東寺1東寺3

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